~ つぶつぶ つぶ焼き ~

~泉を求める鹿のごとく~ 
パレストリーナ曲(ラテン語)


<< 雑感 >>

 先日の2017年9月15日(金)の朝7時頃に、携帯にJアラートで、北朝鮮からミサイルが発射されたと警報が来ました。私はその時にある高架駅のホームの上で電車を待っていました。放送で「階段を下りて建物の中に避難してください。」と駅構内放送がありました。私もそれに従い下の階へ避難しましたが。ホーム上には3分の1が避難せずに携帯等をいじっていました。これが今の日本です。この人たちはミサイルが自分の上に飛んできたらどのように反応するのでしょうか。また、駅も駅で誘導員が出てくるわけでもなく、もう、呆れてものが言えません。これは避難訓練とは違います


<< 雑感 >>

 「国破れて山河あり」この言葉を思い出すと、人間のしていることがとても小さく哀れに感じてきます。今から約紀元前1万前までは、推定全世界人口は500万人だったそうです。キリストが生まれた西暦0年で2億~3億人そして今は72億人以上になりました。すごいですよね。


<< 雑感 >>

 朝起きるといつも別世界にいる感じがする。何て表現したらいいのだろう。そして活動が始まるといつもの気持ちで終わる。この気持ちを何て表現していいのだろう。自分がこの世界にいることが嫌だと思っている人もいるんだろうなあ。などど考えることもある、しかし、皆一生懸命生きているわけで、関係ない人のことなど思う暇はないのに、、、、、。全てのことに感謝して生きていくと世の中が明るく見える。逆に反対の事を考えて、全ての人を悪者と考えて見る、そうすると世界に暗黒さを感じる。そう、すべては見る本人その人の視点で善し悪しを決めている。それが分かっていると自分というものをコントロールしやすくなるのである。

 何でここにいるの?なぜでしょう?考えてもわかりません!考えないようにするのが一番いいのだが、思えば思うほど考えてしまいその結果わけがわからなくなる。しかし、わけがわからなくなるのも面白いだろうと思う。宇宙が現実にあるのになぜできたのかわからないのと同じ、自分が馬鹿な人間で悪人でダメな存在だと思うことは、実は、自分をそこにもって行くことは簡単で勝手に安住してしまい逃げていることを知らればならない。だから、生きていく上でそれも悔しい。他人が自分のことを否定することは死に直結することである。また自分自身が自分の存在を否定することも死に直結することである。だからそれをしてはならないのである。

 もうひとつ頭に浮かぶ言葉は「出る釘は打たれる」である。これは人の羨ましいという気持ちからくるものである。私はその釘を打つ人にはなりたくないが否定はできない、しかし、これも人間である以上は永遠に続くのかと思う。理性、それが社会秩序であることは言うまでもない。私は明日の朝もきっと別の世界にいるだろう。一つ分かっていることは、合唱を指揮しているとき、聴いているとき、歌っている時が私にとって一番の生きている世界だ!


<< 平成29年 新年を迎えて >>

  新年あけましておめでとうございます。昨年も皆様にはお世話になりまし、心より感謝申し上げます。思うに皆様も日頃よりお感じになっておられると思いますが、私も同様に皆さまの支えなくして今の自分は存在しないことを、肝に銘じて生きております。しかしながら、自分には弱い面が数多くあるがために大変お世話になり、かつご心配をかけたりしてしまったこと本当にすみませんでした。私も一人の人間として生きる権利を天からいただいたからには何のためにこれからの余生を生きるかをよく考えなければならないと思います。そのためには甘えの中で生きていた部分を、見直し襟を正して行かねばならないことは言うまでもありません。人間は本音と建前があります、大義名分もありますが、自分に正直で生きていくことも大切と思っております、相反する自体も生じるのは当然の事としても、本来から弱い自分を強くすることをも考えて、自分の考えをも人様にお伝えして修正しながら行動に反映していきたいと思います。

 

昨年も音高と合唱を中心に活動させて頂きました、本当に充実した時間を賜りましたが、何度も述べさせて頂きますがこれは皆様の支えがあったからこその楽しさであることは言うまでもありません。私は、一命をとりとめ療養中されている、ゆきわりそう代表姥山さんが「人は自分のためにだけは生きていくことができないけど 人のためにだけは生きていくことができるのよね。」と話して頂いた言葉を支えに今年は活動していこうと思います。しかし、そんなことはとても大変なこと、自分の存在そのものが邪魔になるケースがあると思います。そこは自分という存在を見つめながらこの世から抹消されないように行動していこうかと思います。昨年は音大同級生の滝川昌之氏はじめ、同年代の他界に遭遇しました。彼らの死を見つめながら、それを思い教えてくれたものは何かを考えて生きていくことも大切かと思います。私も遅かれ早かれ父のもとへ行く日が来ます。それも実は楽しみです。宿命は決められているので、かえって安心して思いっきり生きていけますが、その時期はまだであることを願っています。

1年は大きな区切りであることはとてもいいことだと思います。失敗して恥をかくものよし、しかし、自分にとっての「Yes、No」をまずははっきり意思表示して周りの皆さまに判断していただくことがこれからの責任ある生き方と思っております。どうぞ、今年もよろしくお願い申し上げます。


<<電車の中・車で運転して思うこと>>

  比較的運転マナーがよいと思っていた東京なのですが、最近ではマナーの悪さを指摘しなければならない状態になりました。とても、情けなく悲しいと感じています。一番は、ギリギリウインカー、ひどいのはまったく方向指示器を出さずにいきなり曲がります。あまりひどいのにはクラクションを鳴らします。相手に逆ギレされる可能性もあるので、タイミングを見てクラクションを鳴らし警告します。相手の車は曲がってしまうので、Uターンをすぐにしない限り私の車には追いつきません。しかし、私は交通マナー違反は生命に関わることなので思い切って警笛を鳴らす事が多いです。また、シニアの方の一時停止なしの優先道路への飛び出しもよくあります。間一髪のシーンがよくあります。音楽大音響車や暴走運転車は問題外です。話になりません。

私が思うにこれは現代社会の縮図であり、心が満たされない人もたくさんいるのだと思います。昨日中央線に乗ったとき昼間の空いている時間帯で私の車両は数人しか乗っていませんでした。武蔵境駅からちょっと、一見爽やかそうな青年が私の正面向かいに座りました。といなや、手も抑えずにもろ私めがけて咳を連発してきました。思わず、持ってきたマスクをしました。
するとその青年は私に逆ギレしたようにまた、より大きな咳を何回もしました。さすがの私も憤りに達したので、腕を組んでずっと彼をにらみつけました。これから仕事に行かなければならないのになんでこんな人のせいで嫌な気持ちになるのがとても嫌でした。すると彼はスマートフォンで何やかゲームらしいのを始めて眼をそらしました。私はそのままずっと睨みつけたままです。ちらっと視線があった瞬間にまた眼をそらしていました。そしてしまいには、「たぬき寝入り」です。それでもずっと見てました。どうやら彼は私に恐怖を覚えたようでした。彼にとっては、もし先に彼が自分が先に降りると、私がついて来るかもしれないと思っていたかもしれません。幸か不幸か私の方が先に降車駅に着いたので降りましたが、最後まで睨みました。人に咳を直接するなんて言語道断です。是非、皆様に置かれては防護マスクを携帯してください。


<<今 思っていること>>

  私は経済にはまったく素人なので、何の根拠もなくただ一個人の考えで書かせて頂きます。日本という国は、高度経済成長期を経て目覚しい発展を遂げてきたのは言うまでもありません。バブル経済崩壊と言われた90年代後半から、景気が悪くなって来たのは否めませんが、そもそも経済成長とは、今の日本に当てはまるかという疑念です。

 

国民生活を考えると、これ以上の経済成長とは何かと言われても、消費も頭打ちの中で物質は十分に需要に対応できる生産量があり、これ以上の生産は過剰になるわけだし、などなど。現実を考えると今の生産量を確保しつつ物を考える、大量にものが売れるのはとても大変な事だと誰もが思っていることでしょう。お給料を上げるための努力は、頭打ちの市場ではとても難しく、それを多くの会社が市場確保に苦労している構図の中でとても過酷なものと感じます。

 

いわゆる発展途上国は、物を手に入れるために購買意欲もあり例えば洗濯機を得るために頑張って働いている方たちとは、日本人の考え方は大いに違っているのは誰もが分かることと思います。ならば、経済成長しなくても今の現状を維持させることの目標があれば、つまり経済成長数値に囚われると余計に辛く、過酷になるだけと思います。上限がないので大変な負担だと思います。

それよりも、生きて行くための福祉をより重点にそして何よりも大事なのは、幼児教育からの教育の充実、それにはそれに見合った専門家が必要になります。福祉関係の方のお給料を聞くとびっくりするほど保証されていない気がします。

 

日本は、政治家の方たちの報酬がお給料だけでなく、それに伴う保証が手厚い扱いをされていること、毎日、24時間と言っても過言でない福祉関係の職員の激務、政治家たちの何十分の一のお給料です。視察するだけではなく、3ヶ月研修を兼ねて実際の現場で働いて見てください。そして、議会で発言してください。もし、仮に全国の政治家の方たち全員のお給料を今の半部にしたら、政治家の方たちも危機感をお感じになり、ヨーロッパのように、ご自分の本来らいのお仕事も頑張られるのではないでしょうか。ちなみに、私の大祖父は戦後青森市議会議員でしたが、お給料というものはなく専業は床屋でしたよ。議会報酬は羊羹かカステラでした。また、当時持ってていた土地を売って、困っている方たちに無償でいろいろ提供しました。おかげで、我が家族は最低限の土地を残して全てなくなりました。それでも大祖父は満足していたようです。そして床屋を誇り高くやっていましたよ。うる土地もなく床屋で一生懸命働いたお金を町内会のために回していましたよ。すべては皆の喜ぶ顔が見たいがためです。わかりますよね、この気持ちが、、、、。私が中学、高校生の時で青森に住んでいた時、よく知らない人から「よしひとさん、本当にありとうございます、あなたの大祖父のおかげで助かりました。」よく声をかけれました。

 

私は学校は非常勤ですので、これだけでは生活をすることができません、だからこそ、他の事も含めて頑張ってます。そしてまたいろいろなとこから元気を頂き活動させていただいております。政治家の方たちもいわゆる期間限定非常勤政治家ですので時給かコマ数にしていただくのはどうでしょうか。そうするとその予算を福祉関係に特に子供達のために回して、そのために福祉関係の正社員を増やして保証していただくことがいいのではないのでしょうか。将来の日本を崩壊させてるのは子供の福祉と教育の後退であることには間違いありません。まず第一は政を決める事ができる政治家の方たちがご自分たちの報酬についての事から始めて頂きたいと思います。税金を使わなければ使わないほど、政治家は周りから尊敬されるし、自分も意見も堂々と発言できるのではないでしょうか。それは「名こそ 惜しけれ」の精神を今一度もって頂きたいと思います。

 

子供や20代までの若者のために税金を使ってください。そして老人福祉や障害者福祉にお願いします。なぜかと言うと介護を実働でできるのは若者だからです。若者が輝けば老人や障害者もより輝きます。子供や若者は、食べるし、体力あるし、夢がこれからあるし、買いたいものはいっぱいあるし、日本の経済を救う主役は若者ですよ!!!!


<<実は自分が、、、、、>>

  実は自分が一番自分勝手な人間だと思うときがあります。おりこうさんにしている時の自分とそうでない時の自分。世の中は相互関係、真ん中に自分がいるいわゆる起点の点、上があれば下もある。上がなければ下もない。右があれば左もある。右がなければ左もない、ただ点の世界が自分であるが起点がなけれな、世の中まったく始まらないのである。つまり、対比するものがなければ物事がはじまらないということである。自分の概念で言いますが、自分が一番身勝手だと宣言している方が、実はとても気が楽になります。でも、人によっては自分は清楚で控えめで謙遜な人間だと宣言したほうが気が楽な人もいます。どちらについても間違いではありません。ただ、大事なのは人様にできるだけご迷惑をおかけしない事が、社会のルール。それを相談して秩序を生み出します。動物たちにも秩序があります。相談しているのでしょうか、まさか、ですね。とても不思議です。それが事実なのに。宇宙の外には何もないと言いますが、そんなことあり得るのでしょうか。しかし、元に宇宙は存在してます。とても不思議ですね。起点、、、、、起点、、、、、起点、、、?


<<今 歌手として>>

  今 テノール歌手になって練習に望んでいる。昔ほどではないのですが、今年も暮れに向かっていくつかソロのお話が入ってきました。9月5日の演奏会、青島広志先生とメンバーと最後の合わせをしてきました。久しぶりに歌うオペラアリア、オペレッタの重唱、青島先生自身のピアノによる「唱歌の12月」など目白押しのプログラム。もちろん、これは依頼されてではなくあくまでメンバーの自主公演であるが、皆オペラのベテランなので楽しい、昔、自分がバリバリ歌っていた時の自分の身体が戻ってきました。合唱出身の私にとって合唱の魅力は当然ではありますが、オペラ科で育てられた自分はやはり身体が動いてくると、とても、気持ちが晴れます。3月にはイタリアでのモツレクもあり、なんて幸せだと感じています。しかしながら、油断をするとすべてが、どんな形でおじゃんになるかもしれないので、事は慎重に行かなければならないことは言うまでもありません。本日、青島先生が、ご存知のたくさんの演奏家の話をしてくれました。栄光を掴んだのも束の間、悲劇が起こったりもしています。しかし、その中には音楽家の壮絶な生き方やドラマがあるわけですから、上から視線ではなく、純粋に尊敬の念を持って全ての音楽人をも高評価したいと感じます。本来の付く役職、社員とか課長とか、教諭とか部長とか、そのような社会的な地位ではありませんが、テノール歌手という名前を頂いて、自分の歌を歌わせて頂くことに本当に感謝しております。青島先生が、「今の自分が一番楽しくて仕方がありませんよ。」誰にも拘束されることなく、自分の思うがままに世の中を操作して、活動している先生の言葉と行動は、私自身も目指している自分の理想の生き方でもあるような共感を得ることができます。青島先生と知り合ってから早30年になります、随分とご迷惑をおかけしたのに、今でも気さくに会話をさせて頂いている人間性に感謝しております。テノール歌手 鹿内もまだもう少し人様のお役に立っているような気がしてきました。頑張るという言葉は今はあまり使ってはいけないと言われますが、私は頑張るという言葉が好きです。それに楽しむという文字が加わって、自分に正直な生き方を目指して最期まで行きたいと思ってます。皆様も、どうぞ、自分をいつも見直し、ということは自分を大切にすること、それから生まれる自分の目標を確証して前に進んで頂ければと願います。もちろん自分に言い聞かせた言葉ので自分に大いに返してきてます。さあ、明日また新しい物語の始まりです!


<< 東日本大震災はまだまだ終わっていません >>

 昨日まで、宮城県南三陸町へ男声合唱団コンパシオーネで、仮設住宅集会場にて合唱コンサートをしてきました。私にとりましては1年ぶりのお顔、団員にとっては初対面でした。皆さん、お忙しい中、たくさんの方たちが集まってくださいました。コンパシの少人数ながらもダイナミックな合唱を聴いて皆さん大きな拍手を叩いていただきました。かならず、会場の皆様とご一緒に歌うのですが、今回は定番曲ではありますがちょっと趣向を変えて「知床旅情」「武田節」「月の砂漠」「北国の春」を皆で斉唱しました。皆さんまるで合唱団のような大きなお声をだして頂き会場の天井が飛ぶほどに響きわたりました。たかが歌、されど歌、終わってからの懇親会は、こんなに話するのかというくらい盛り上がりました。何と、缶ジュース1個で2時間、また、歌が始まり、私が持っていった日本の歌の楽譜で「勘太郎月夜」「湯の町エレジー」「東京花売り娘」などなど最後はやっぱり「青い山脈」です。集会場には電子ピアノなのですが、せっかくプロのピアニストが行くので、専属ピアニストの岩崎先生に「子犬のワルツ」を披露していただきました。私は歌う予定はなかったのですが、かならず「千の風になって」のリクエストがあり、歌わせて頂いてます。目の前で亡くなられた方たちの思いがあるのでしょうか。とても胸が詰まる思いがあります。目の前で流されて行く人に、もう絶望的だとわかりながらも波に落ちないように必死で、バランスを取る人、浮いているものにしがみ付く人、その人たちには何もできないただ「頑張って!」しか言えないと涙ぐんてお話し。避難所にはどんどん遺体が運ばれて来て、その人たちを夜を板一枚で過ごす事、建物や木の枝に人が逆さまになってぶら下がっている事など、私がここに来てようやく5年目にして話してくださることがいっぱい出てきました。話してくださった方が一言、その遺体を見ても一度も怖いなどと思いませんでした。綺麗な人たちです。ただ、、、ただ、、、匂いだけは大変でした。線香と混じる匂い、、、。美談だなんてない。
火事場の泥棒、自動販売機をこじ開けお金をとって逃げていく、その気持ちもわからんでもない苦悩。ほんの話の一部分、でもその人たちも人を救助に一生懸命手伝っている人もいる。犯人が分かっていても誰も密告せず話さず口を閉ざしている、自分の中にだけ閉じ込めて、、、、現実です。まだまだ、被災地は復興していません。皆さん、熊本もそうですし。忘れないでください。次は私たちの番かもしれません。

コンサートの時ひとつの詩を見せてくれました。仮設住宅の生活がいかに酷か、熊本での仮説住宅での生活が始まります。合唱団員の中に実家が熊本の方がいて、それも益城町のご実家、テレビで知り合いも出ている中、これから仮設住宅生活が始まります。真剣にお話を来ておられました、そして、実際に家中を見せて頂き、かなりの印象を持たれたご様子でした。

話は戻って、仮設住宅から出たいとお嬢さんが書いた詩、とても思いがありました。そしてようやく新しい新居が見つかり、引越しした直後に、この方のお父様が急死されました。我慢して、我慢して、安心してとうとう天国へ行ってしまったのでしょうか。学ぶべきことはまだまだ山ほどあります。また、ここでは書ききれません。どうぞ、是非、現地へ行って向こうの方たちと親しくなってくだい。


<< 人生茶番劇 >>

 自分の人生を茶番劇と取るか、そう取らないかの人生劇場、ソクラテスが「われ思う 故にわれあり」何で自分という存在があるのか考えてもわからない、結局は、思う自分がいるからという事。私たちはいわゆる3次元空間で生きている。「縦、横、高さ」である。これ以上の空間については理解できない。例えば4次元空間である。ところが、2次元や1次元の世界は理解している。点と平面である。仮に平面の世界の人がいるとすれば、高さというものが見えないのである。だから3次元の人間が2次元の人間を例えば上に引っ張ると、2次元の人間の前から急に人が消えてしまうということになるのである。物理学の、ある宇宙空間の方程式があるらしいのだが、それは空間を表すもので、理論上からすると11次元まであるという。11という数字をその方程式に当てはめると、ピッタリ答えが出てくるという。

今の話は、極端な話なのですが、私には見えない空間や隙間がいっぱいあることでしょう。もし、その隙や空間がわかったら何かが出来るかもしれしれない。いや、今の自分を変えるのは難しいからできないかもしれない。くだらないことではあるのだが、考えるのは勝手である。3次元空間の他に4次元空間があるわけもない、例えあっても関係ないことでもある。実にバカバカしいと思うのですが、でもこんなこといつまでもグダグダと考えていてもいいではないかと思いませんか。

 

信じる信じないはその人の解釈、私は3回幽霊を見たことがあります。そのうちの一人は姿かたち顔まではっきり覚えています。それも、私の隣にいました。信じられないと思います。それは今から25年も前のことでした。その時期以来は、そんな神ががったことに出くわしたことはありません。でも、その幽霊さんは、夕方のまだ明るいうちに、それもバス停で見ました。そして全然怖くありませんでした。私の前から突然、消えてしまったのです。きっと違う次元の空間から来たのかも知れません。実に不思議でした。

私の人生は実に茶番劇にしてしまっている自分だと感じる時があります。いわゆる世間様が作り上げてくれた社会なのですが、世間知らずな点が未だに多く、恥を知らないで行動してしまいます。しかし、ここまで生きてきました。私の人生がいいか悪いかは自分が決めるものであります。いつ、どこで自分は終末を迎えるのだろうと思うことがあります。もしかして、大恥かいて死んで行くかもとか、あまりにも呆気ない最期とか、、、、想像するのはいくらでもできます。それが「われ思う 故にわれあり」なんですね。私の人生劇場はまだ続くのでしょうけど、、、、、。

(写真は2009年 TCT ミュージカル メアリーポピンズのバンクス役)


<< 顔も知らない命の恩人 >>

 私は覚えているだけで、過去4回命が救われました。そのうち2回は、実家のすぐ裏で、一回は今のJR東青森駅構内で、もう一回は地元の合浦公園海水浴場でした。始めの記憶は、今から遡ること50年前、4歳ころの時でした、青森市栄町の実家のすぐ裏には、小さな溝川がありました。生活排水も流れていたのです。でもドブ川でもないのですが、NHK青森放送局が隣にあって、そこから何故か一見綺麗な水が勢いよく流れていました。そこの水溝口から出る水でよく町内の人が、まな板で洗濯をしていました。もしかしたら、私の裏家は井戸水を使っていたので、湧いている井戸水だったかも知れません。なにせ、ドジョウが生息していました。水深は約30センチ程度溝幅は1メートル程度でした。ある日、ドジョウを見たくてひとりで裏に出て、溝を覗き込またした、すると何かの弾みで、足を滑らし溝に落ちました。、今でも光景をはっきり覚えています。水深30センチでも私はそこで溺れました。苦しくて気が遠くなったと思った瞬間に、誰かが私の体を掴んで引き上げてくれました。水を大量に飲んでいたので、げぼげぼと水を吐き出しました。肺にもかなり入ったと思います。もう少しで命を失うところは明白でした。とにかく大きな声で泣きました。それしか覚えていません。

次は、同じ場所の反対側のすこし大きな溝でしたここは、大きくて川幅は1・5メートルくらいで深さは1メートルはあったと思います。これもこのことがあって1年後くらいでした。詳しくわかりませんが、ある日家の周りが洪水になりました。裏に出てみると道路が全て冠水して水が泥色に濁っていました。道路は小さな私の足の半分くらいまで水がありました、道路と溝川の境目がわからなくて歩いていたら、私は足を足られるように、今度は反対側のその川に落ちました。溺れて、目の前が泥水の中になりました。息ができなてもうだめ、また川の勢いがあったのでコンクリートの下にはいると間違いなく絶命でした、この時も誰かが、私の体を掴んで助けてくれました。どんな人物だったのかまったく想像もつきません。一命をとりとめました。

 

次は小学校6年生の時、貨物取扱駅の東青森駅の構内へ友達のケイジくんと遊びにいきました。学校が終わってほぼ毎日、汽車を見たくて行きましたが、あの時代は簡単に駅構内に入ることができました、とても危険なことでした。ある日、線路の上で遊んでいると、警笛が聞こえました、気づいたら目の前に特急列車が接近中で、これはまずいと思い走ったのですが、線路につまずき、線路の真ん中で転んでしまいました。もう多分30メートルとないところで這いずり、ぎりぎり脱出、本当に数センチのところで大きな車輪が多分時速100キロ近いスピードで目の前をよぎって来ました。1メートルもなかったと思います。その時間は多分10秒あったかないかと思います。列車にひかれるところでした、ここでも一命をとりとめました。

もう一回は、合浦公園の水泳禁止の東の防波堤の端で、泳いでいました。、ちょっと海底まで潜ってみようと思い思い切って潜水したのですが、浮き上がろうとしたら、海流が邪魔して下から上に上がれません。上の海面までは3メートルくらいと思います。息が苦しくてもうだめだと思ったのですが思い切って、もう一度海底に足を付けて思いっきり蹴って勢いを付けたらなんとか水面に飛び出ることができました。それから1週間後私が溺れたとこから数メートルのところで人が溺れて亡くなったとテレビニュースでやっていました。もう、背筋が寒くなる思いをしました。

 

皆さんもそういう場面に遭われた方はたくさんいることと思います。私の命の恩人が2人いますが、まったくどんな人かもわかりません。その人がいなかったら間違いなくこの世にいないでしょう。もしかして、後の2回も同じ人、私にとっての神様か仏様か天使かが引っ張ってくれたのかもしれません。50年前の命の恩人にお礼が言いたくてたまりません。そして、「私はその人にここまで生きることができています。」と感謝の気持ちを伝えたいです、私しかわからない体験、、、、。その人から頂いた命はより大切に、もっと人のために何かできることがあればしたいと思います。本当にありがとうございます。実は皆さんにも、助けてくれる神様がいるのではないでしょうか。


<< 街は舞台 >>

 街を歩いていると、毎回、新しい場面に会うことができます。私は、オペラに携わらせて頂くようになってから、舞台と裏方の角度で街を見るようになりました。大勢の人が歩いています。この人たち、一斉にヴェルディ「鍛冶屋の合唱」を歌出したら、、、、。想像します。カップルが歩いているとその2人が「乾杯の歌」を歌いだして、街の人たちが一斉に合唱を歌います。路地裏、ホームレスがいます。この人が自分の人生観を歌い出します。そうしているうちに、街がとても楽しくなります。全く知らない人なのに、電車に乗っていると、いろんな会話が飛び込んでいます。「こんちゃんがね、テニスで、、、。」「あれは、間違いだらけだよ、、、。」などなど。普段自分も喋るような会話。

私の今日の第1幕第1場は、朝の家から始まります。「今日も飛び起き!しまった!」するとアリア~今日も飛び起き!しまった!~を歌います。第2場は、東村山駅 ランチが始まります。レチタティーヴォ~店を捜せ~ぶつぶつ言いながらランチの店を探します、結局はいつもの東村山駅構内立ち食い「狭山そば」の天ぷらうどん、アリア~ああ、やっぱり天ぷらうどん~ 第2幕 第1場 とある老人ホーム 老人ホーム職員の合唱、「みんな楽しく」そしてミニコンサート
そして、終幕最後は帰り道、壮大な夕焼けをバックに帰宅、途中、とても綺麗な夕日に足を止める、そこにいる見知らぬ人たちが、その夕日を観て明日への合唱「明日への希望」を歌いだす。

 

私たちは誰でも物語の中を生きています。楽しい時、苦しい時、若い時、シニアになったとき、全てが物語、自分がわからなくなったとき、自分を主人公にオペラを作ってもらいましょう。その時は、ご自分が主役で歌ってください、そして、是非、私に公演のチケット譲ってくださいどんなオペラが観れるのかワクワクしながら行かせて頂きます、もちろんチケットは定価で買いますので。

いかがですか、皆様、今日も一日ご無事でお過ごしください。  2016/8/4


<<あれもこれも>>

 今、何をしたいのと、今、何をしなければならないとは違うことは言うまでもありません。今したいことは、自分の希望、欲求であって、しなけれなならないことは、自分の意思よりも義務的な使命である。しかし、しなければならないことの多くは自分にとっても相手にとっても必要とされる事で、糧も得ることが出来る大事な事態です。反面、何をしたい事の、多くは出費がかさみ、結構自分本位なことが多いので、あまり、直接の糧には繋がらない事が多いのではないでしょうか。もちろん、何をしたいの概念が大まかすぎて、その人によって考え方が違うので、何をしたいの、それではそのためのは何をしなければならないが、もれなく付いてきます。

しかしながら、人間というものは欲求がなければ、なかなか腰を上げないのが普通だと思います。「ゆきわりそう」の姥山代表がこのような事を話してました。「人は、自分のためにだけだと生きることができないけど、人のためにだけでも生きることはできるのよね。」人生80年以上生きてきた方の言葉に、とても重みがあり納得します。

 

私は、欲が深いのか、あれもこれもしたい派なのですが、それでは何をしなければならないという時は、固まってしまいます。ここでこのような事を書いているのは、実は、自分に言い聞かせるために書いているようなものです。

つぶつぶつぶ焼きの独り言です。

 

私くらいの歳になると、大方の「夢」達成されました。自分の場合、無事に学校を卒業できました。音楽家になることができました。美味しいものをたくさん頂くことができました。たくさん旅行もできました。そしてなにより多くの仲間に囲まれて幸せに暮らしています。全てが終わったように見えますが、さあ、これからはどうするかです。

 

「夢」は実現したので次はそれを活用した「目標」を作ることかと思います。例えば演奏会を企画する、どこでやる、何を歌う、つまり、かくして一番腰が上がらない「何をしなければならないか」がやはりもれなく付いてきます。  2016/7/27                             


<<東大和の侍>>

  東大和市(東京都)音楽連盟会員でアマチュアのバリトン歌手片山さんという方がいます。御年79歳ですこぶるお元気で活動されます。海外の旅行経験も桁外れに多く、ヨーロッパ全土はもとより、エジプト、モロッコなどどこにでも行かれます。多い時はひと月で2回ツアーでお出かけ、ほとんど日本にはいない状態の時もあります。東大和でのコンサートに男声合唱団員のメンバーでも出演なさるのですが、メインは何をさておいてもソロです。それも出演時間7分前後と決められた時間内をフルに活用して、海外で購入したおしゃれな衣装や小道具を使ってご自慢の喉と演技を披露されて皆を楽しませて下さいます。

 

片山さんに「✖✖は空いてますか。」と聞くと「実はトルコに行ってます。」という調子です。ある日2人でランチを食べに行った時に、それほどまで「海外がお好きなのですね。」と言うと「もちろん、それはそうなのですが、一つ大きな理由があります。」との事、自分は行く先々で私は日本の侍の子孫であることを言うのだそうです。すると向こうの方たちは、とても自分の事を好意的に見てくれるのだそうです。そして自分は一緒に行くツアーメンバーは初めてお会いするひとが多いのですが、自分はその方たちを自分が守るのが責務と思って行っているとのことでした。ご自分がツアーに加わることにより、ツアーメンバーでも旅先の方たちも安心してくれる。そして自分は実はいざとなったら、皆の盾になって守る決意、「実は自分の散る場所を捜しているんです。だから危険と言われるツアーでも参加します。」戦前生まれのこの紳士はいつも服装がおしゃれ、「自分はいつも男爵気分、どうかバロンと呼んでください。」昔は企業戦士、今は武士道を持った侍、その考え方に深く共感させて頂いてます。

 

舞台で歌っている時は、まるで別世界にいるようなすてきなステージ。このような紳士がいつまでもお元気で世界中を飛び回って頂ければと願っています。どこまでも前進する勇ましい侍男児 片山宏さんに乾杯です。私が片山さんの歳になってもハイカラ爺さんで過ごせればと思います。将来の自分像、それは目標です。これからもたくさんの人を楽しませてください。音連会議で数日後にお会いできるのを楽しみにしてます。                                            2016/7/26


幼い時私の夢は、、、、。

多分、私が6歳の時、幼稚園の先生が父兄のいる前で、園児たちに「あなたは、将来何になりたいですか?」と質問しました。

私の出番が迫ってくる、ドキドキしながら考えたと思います。

そして「よしひと君は、何になりたいですか?」

私は大きな声で「コックさんに、なりたいです!」

と言いました。何故、コックさんがいいのだろうと、未だに考えるのですが、もちろん、食べることは好きだったと思うのですが、コックさんの衣装が、好きだったきもします。

その後は、、、、。

小学校の時から、飛行機がとても好きでした。それも自由に旋回できる小型のプロペラ飛行機です。当時、零戦、隼の名戦闘機が流行りでした。よく夢で零戦を操縦している夢を見ました。南太平洋を思いっきり飛んでいる自分です。今は怖いという気持ちが先行し、だいぶ冒険心がなくなって臆病になってしまいましたが。飛行機で旅をしている時に、窓の外で隼を操縦してこちらを向いて翼を振っている自分が並行して飛んでいる姿が目に入ってきます。もしかしたら昔の自分なのかも知れませんね。


♫ あなたの夢や目標はなんですか?

 

もし自分が何をしたいのか困った時、迷ったときは、潜在意識の中で活動している自分を引き出して見てください。それは小さい時のことを思い出して、その時に何をしたかったか思い出してみてください、時間を掛けてゆっくりと過去へタイムスリップしてください、きっとそこから本来の自分のしたかった事が出てきます。

 

私は中学の時に合唱に出会い、それから声楽を勉強して東京へ出てきました。学生時代コックさんにはなれませんでしたがお寿司屋さんでアルバイトしてコメをといだり、味噌汁を作ったり、エビの皮をむいたりしました。私の作った味噌汁をお客さんに飲んでもらいました。音楽のおかげで大好きな飛行機で海外にも行きました。剣術は音大の作曲科の先輩から勧めて頂きました。そのおかげで日本の歴史や作法、そして自分の家系に興味を持つようになり自分を知る事ができました。その先輩は音高のご父兄でした。そしてそれは、、、それは父が私の母校に残して行ってくれた合唱のおかげでした、、、。自分の人生は全てが繋がっています、何一つ無駄な事は無いと思います。